野生生物やこども達にはリスクだけが

ecochem2005-03-06

昨日環境ホルモンのことを書いたが,今朝になって以下のニュース。

便利な化学物質を使うときに“リスクとベネフィット”ということ考え方を使う場合がある。例えば薬には薬効と副作用があり,食べ物でさえある程度のリスクはある。

病気のこどもに薬やワクチンを使うときはかなりリスクが高いことも覚悟しなければならないのはこれまでも書いてきた(その任にあたる小児科医の役割は大きく,不足が懸念されることも「こども省」という発想が必要な理由の一つ)。
ところが冒頭記事の野生生物にとっては何のベネフィットもない。食物連鎖で回りまわって人間の口に入るとしたら(2005/02/27に書いたように地球上の物質をみんなでやりくりしているのだから),それはその時点で人間にとってのリスクとベネフィットと言えるのかも知れないのだけれど。
野生生物への影響という点では,昨日のextinctと関連して,2003年10月には日本産の野生のトキが絶滅したことは記憶に新しい。今中国から借りたトキで人工繁殖が図られているが,日本のトキが持っていたであろう独自の文化などは完全に失われてしまったのだ。

この原稿には,2002年10月に起きた,

のことも記載した(ただしこちらは濃縮ではなく有機リン系殺虫剤フェンチオンによる急性中毒とされている)。
過去においては高濃度の化学物質の影響が問題視されたが,環境ホルモンという視点が投げかけたのは,これまでの測定技術では検出されなかったような微量での影響,あるいは最近になってわかってきた複雑な生命システムへの微妙な影響だろう。そのことを人間だけでなく,地球上の全生命システムについて検討していく責任が課せられたということと捉えたい。
そのような中,

を読んで驚いた。なんとPCBのも仲間とも言える有機塩素化合物をわざわざ甘味料として使おうというのだ。上のアニメーションはそのスクラローススクロース(ショ糖)との重ね合わせだが,緑色の原子が塩素である。

ただし,PCBや,

などは水に溶けにくいために生体蓄積性があるが,スクラロースは多数の-OH基(ヒドロキシ基)があるために水溶性で上掲資料にあるように容易に体外に排出されて毒性は低いだろう。低カロリーというのも,よかれ悪しかれ体内で代謝されないためであるが,環境中に排出された時に微生物でも分解しにくい可能性がある。これが大量に消費・排出された場合にどのような経路で循環していくのか,旧来の化学物質の評価方法では予測できない部分もあるように感じられる。世界中の研究機関が環境ホルモン問題に立ち向かって得られた成果が承認に当たって活かされているのだろうか。複雑な毒性については研究経験がない個人の単なる胸騒ぎならいいのだけれど。

団まりなさんの「性のお話をしましょう」

今朝の朝日新聞読書欄『著者に会いたい』にちょうど読みかけの,
性のお話をしましょう―死の危機に瀕して、それは始まった (魂の本性)

を書かれた団さんへのインタビュー記事。毎日新聞にも書評が出ている(2005/20/22)。

団さんといえば,
生物の複雑さを読む―階層性の生物学 (平凡社・自然叢書 (30))

の階層性(分子→細胞→生物)で知られ,独特の図で持論を展開することで知られており,今回の新刊はその総論ともいうべきもので生物という存在についての多くの示唆に満ちている。性の発生に繋がっていく細胞分裂については,2005/03/01で紹介した,数研出版「視覚でとらえるフォトサイエンス生物図録」pp.28-30を参考にしながら読むといいだろう。
生物学者は図を描くことが時として重要で,その意味での大先駆者のお一人が,
胎児の世界―人類の生命記憶 (中公新書 (691))

の三木さん(と,気安く書いていいのだろうか…)である。現代思想には団さんの文章も載っているが,確か研究者になってからもしばらくの間三木さんの存在を知らなかったという話がどこかに出ていたような気がする。
また団さんは,2005/02/21ほかで書いた茂木さんと同じ本にも登場している。
脳と生命と心―第一回養老孟司シンポジウム (養老孟司シンポジウム (第1回))

この本にも,団さんが強調しているDANやタンパク質よりも細胞という存在が生命の基本単位とする考え方が示されており(人間の科学は未だ1つの細胞さえ作り出すことができない!),同じことはやはり同シンポジウムの参加者である池田清彦さんもしばしば論じている。
分類という思想 (新潮選書)

また,生命の世界における性(とそれに関係する死)の誕生という大事件については,
オスとメス=性の不思議 (講談社現代新書)

も団さんとは違う視点で興味深く書かれている。
さて,冒頭の団さんの本には,“私は,生物現象のとらえ方が擬人的すぎて非科学的だとしばしばしかられるのですが”(p.169)とあるが,生命がいろいろ試行錯誤しながら進化してきた様を,その擬人的な語り口で語られているのを読むと,本当に生き生きとした生命の世界のおもしろさを教えられるような気がする。
性というものが誕生して以来の,卵子精子が役割分担する手法の種ごとの戦略の進歩と違い,そして胎内でこどもを育てるという手法を編み出した哺乳類という存在。それには親の保護・庇護が必須(産まれでてからもかなりの時間は;人間の場合はミームとも関連)であることが理路整然と語られている(pp.143-153)。
最終節『「雄と雌」とは何か』では,社会的な男女の問題も語られており,生物的な雌雄から男と女という高度で文化的なものになってきたはずの雌雄の関係が,今になっても原始的なオスとメスの関係に留まっていると感じざるを得ないような事件等がたくさん起こって,私自身心を痛めてしまうことがしばしばである。人間(と社会)は本当に進歩していうるのかどうかをこの本でもう一度考えてみるのもいいと思う。