分子・生体分子の系譜(1)/日本初のDNA分子模型(追記あり)

ecochem2005-01-09

昨日書いたように,吉田弘先生からは日本の化学研究の歴史に関する話もいろいろメールで教えていただき,遡って寺田寅彦の名前まで登場したことなど度々少なからぬ興奮を覚えた。
その中で,吉田先生が学位をとられたのが田隅三生先生のところで,田隅先生は私がいつもお世話になっているProtein Data Bankの立ち上げ時に関わっていたこと(Citing the PDB and PDB Structures参照)も指摘してくださり,日本が生体分子構造研究に当初から大きな役割を果たしてきたことを知ることができ,大きな収穫の一つとなった。
田隅先生は化学ソフトウェア学会2001年会で実行委員長を務められたが,そのお名前は以下にも登場する。

    わが国で最初にDNAの二重らせんモデルが組まれたのは,1958(昭和33)年の東京大学の五月祭の折であった。田隅三生細矢治夫中村桂子藤本大三郎ほか,いずれも後年錚々たる大先生となった面々が当時の理学部化学科最上級生であり,中心となって文献探しから実際のモデルづくりまでを行われた。
    (執筆:山崎昶
家庭の化学―古今東西、暮らしのサイエンス (平凡社新書)
この項を書かれた山崎先生(大変な博識で,現在は化学同人『山崎昶先生が答える化学質問箱』なども担当)にはやはり化学ソフトウェア学会(現・日本コンピュータ化学会)等の場でいろいろ教えていただているが,ご自身もそのモデル組立てに関わったとあるのに,上記のことは同書を読むまで知らなかったのは残念でならない。
また,細矢先生は同学会の現会長であるほか,日本化学会での化学教育に関する様々な活動を目の当たりにさせてもらっている。
ゲノムが語る生命―新しい知の創出 (集英社新書)
理科年表CD‐ROMを楽しむ本 (理科年表読本)
さらに細矢先生や中村先生(最近ではニュートンプレス「細胞の分子生物学 第4版」の監訳担当)の多数のご著書には以前から大変お世話になっている。
五月祭でのDNAモデル作成(それはワトソンとクリックからつながっている;DNA50周年参照)が,現在の生体分子研究の先駆けになっていることはとても大きな意味があると思う。
※カットはDNA分子モデルの加工画像。