クオリアと「心の社会」

ecochem2005-02-19

今朝の,

クオリア茂木健一郎さんが出演していた。
脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか

音声出力(Output!)や視覚情報入力・運動能力,コミュニケーション能力などが紹介されていたが,コンピュータの計算速度の向上だけでなく複合的な知見が集積されているのを見せてもらえるのは楽しい。
さてクオリアといえば“赤いバラ”だけれど,私の場合は昔ひどい二日酔いの時に,割れたガラスや尖った石の多い砂利道,かんなをかけていない材木など,不快なテクスチャをもったいろいろなものが次々と出現して,それが悪酔いの苦痛と妙に張り合ってくれたことを思い出してしまう。
クオリアについてはまた書くこともあると思うが,生体分子が集まって生命現象が生まれるように,やはり分子の集まりである脳から意識などというのが生まれてくるしくみには興味が尽きない。生まれてくるものは共通部分も多いが個々に独特なものがあり,それだからこそ,お互いの生命や考え(他者に危害を及ぼさないものである限り)を尊重すべきなのだと考える。
同じことをやるにも脳の処理過程が人によって異なることを,2005/02/10ファインマンが試したことを例に書いたが,自分の脳を実験台にしていろいろなInput/Outputを試せるところが面白いところだろう。
その意味でも好適な参考書が,古典ともなりつつある,

だろう。例えばp.422(言葉の理解)に出ている以下の文章だけで,誰にでもそのシチュエーションが思い浮かぶのはすごいことだと思う。

    Mary was invited to Jack's party.
    メアリは,ジャックのパーティにさそわれました。

    She wondered if he would like a kite.
    かれはたこがすきかしら,と,かのじょはおもいました。