団まりなさんの「性のお話をしましょう」

今朝の朝日新聞読書欄『著者に会いたい』にちょうど読みかけの,
性のお話をしましょう―死の危機に瀕して、それは始まった (魂の本性)

を書かれた団さんへのインタビュー記事。毎日新聞にも書評が出ている(2005/20/22)。

団さんといえば,
生物の複雑さを読む―階層性の生物学 (平凡社・自然叢書 (30))

の階層性(分子→細胞→生物)で知られ,独特の図で持論を展開することで知られており,今回の新刊はその総論ともいうべきもので生物という存在についての多くの示唆に満ちている。性の発生に繋がっていく細胞分裂については,2005/03/01で紹介した,数研出版「視覚でとらえるフォトサイエンス生物図録」pp.28-30を参考にしながら読むといいだろう。
生物学者は図を描くことが時として重要で,その意味での大先駆者のお一人が,
胎児の世界―人類の生命記憶 (中公新書 (691))

の三木さん(と,気安く書いていいのだろうか…)である。現代思想には団さんの文章も載っているが,確か研究者になってからもしばらくの間三木さんの存在を知らなかったという話がどこかに出ていたような気がする。
また団さんは,2005/02/21ほかで書いた茂木さんと同じ本にも登場している。
脳と生命と心―第一回養老孟司シンポジウム (養老孟司シンポジウム (第1回))

この本にも,団さんが強調しているDANやタンパク質よりも細胞という存在が生命の基本単位とする考え方が示されており(人間の科学は未だ1つの細胞さえ作り出すことができない!),同じことはやはり同シンポジウムの参加者である池田清彦さんもしばしば論じている。
分類という思想 (新潮選書)

また,生命の世界における性(とそれに関係する死)の誕生という大事件については,
オスとメス=性の不思議 (講談社現代新書)

も団さんとは違う視点で興味深く書かれている。
さて,冒頭の団さんの本には,“私は,生物現象のとらえ方が擬人的すぎて非科学的だとしばしばしかられるのですが”(p.169)とあるが,生命がいろいろ試行錯誤しながら進化してきた様を,その擬人的な語り口で語られているのを読むと,本当に生き生きとした生命の世界のおもしろさを教えられるような気がする。
性というものが誕生して以来の,卵子精子が役割分担する手法の種ごとの戦略の進歩と違い,そして胎内でこどもを育てるという手法を編み出した哺乳類という存在。それには親の保護・庇護が必須(産まれでてからもかなりの時間は;人間の場合はミームとも関連)であることが理路整然と語られている(pp.143-153)。
最終節『「雄と雌」とは何か』では,社会的な男女の問題も語られており,生物的な雌雄から男と女という高度で文化的なものになってきたはずの雌雄の関係が,今になっても原始的なオスとメスの関係に留まっていると感じざるを得ないような事件等がたくさん起こって,私自身心を痛めてしまうことがしばしばである。人間(と社会)は本当に進歩していうるのかどうかをこの本でもう一度考えてみるのもいいと思う。