新潟大停電と原発と杞憂
貴重な経験となった昨日の大停電も今朝7時時点で阿賀町および村松町の179戸を残して大部分復旧された。
-
“これまでに復旧した地域における停電の主な原因は、塩分を含む氷雪が電線や碍子に付着し絶縁できないことや、送電線の動揺(電線どうしの接近によるショート)などによるもの”
※参考
柏崎刈羽原子力発電所 出力リアルタイムデータ3号機より(関連情報)
2005/08/16には地震による女川原発の自動停止のことを書いたが,災害に対する原発の脆さというものを感じてしまい,電気というベネフィットと核というものが抱えるリスクとを改めて比較せざるを得ない。なお,女川原発は段階的に運転を再開するようだが,最近の耐震強度偽装問題を見ていても,何かあった場合誰がどのように責任を取るのだろうと考えてしまう。また,原発が長期に渡って停止しても,大きな支障を来たさなかったということも考えに入れておきたい(もちろん代替措置で別の負荷が生じていることは理解しつつ)。
それにしても,今回の停電で思い出したのは昨年見た映画(今日の画像はそのパンフと停電時の命綱)。
杞憂であればいいが,異常気象や石油枯渇などにより昨日のような日々が長年に続くことを考えると恐ろしくなる。原因が人間にあるとすればそれは私たちの代わりに後代が感受しなくてはならないのだろう。
また,将来起こり得る核戦争や原発事故で発生する諸々の悪影響や,原発が無くなった時にも考えられないほど長期に渡って残る放射性廃棄物のことを考えても暗澹たる気持ちになる。膨大な赤字を抱える日本の政治力・経済力がさらに落ちた場合を想定すると(もちろん人口減少の問題も関係してくる),電気の有り難さも激減してしまうように思うのだけれど。
これから生まれてくるこども達のことを本気で考えていかなくてはならない。