5年目の9.11

テレビというものが衝撃的な映像を伝えるものだということを時々考える。1962年に初の日米衛星中継がなされた時に画面に飛び込んできたのはケネディ大統領暗殺という考えられないできごとだった。当時はモノクロ放送であったが,5年前の9.11のリアルタイムのカラー映像は,当日もその後も繰り返しリプレイされたのと同様に頭の中でも何回も再生されるものとなった。それは,2006/01/30に記したその数日後の集まりでの黙祷の時の想いと不可分となっている。
遠い地でちっぽけなテレビ画面を通して目にしたことから,その地獄の只中にいた方たちの恐怖をはじめとするもろもろの感情と激烈な痛みなどの感覚を想像することには限界が感じざるを得ない。また,当事者とその近しき人々にとってこの5年という月日が苦しみの連続であったことは,例えば以下のようなサイトが訴えかけてくる。

本当に残念なことに,その後の世界の動きは必ずしもそれらの感情と感覚を減らす方向には動いていない。世界中の人にとって,そのことを考えるきっかけとなる日付たち(例えば上記サイトの米国被害者団体の活動の中では8.6との繋がりも語られている)がこれ以上増えることがないようにひたすら願うばかりだ。