辺見庸さんのこと(地下鉄サリン10年)

2005/03/17の『3/20で地下鉄サリン事件から10年』と連動させた,

の中に,

を挙げたが,辺見さんは2004/03/14,他ならぬ新潟で開かれた講演会(私は開催情報を知らず聞きに行っていなかった)で脳出血になって入院され,回復が待たれていた。先日,その講演会を企画した関係者から,リハビリが進んでパソコンも使い始めているという情報と一緒に,地下鉄サリン10年目の当日(倒れられてからほぼ1年),以下の記事が共同配信で地方紙各紙に掲載された旨のメールをいただいた。

昨日,ようやくその記事を読むことができ,相変わらずの鋭い指摘になぜかホッとすると同時に,今後の更なる活動を期待しているところである。
記事には,地下鉄サリン事件の現場に居合わせた辺見さんが目にした以下のような描写がある。

    倒れた人々を助けるでなく,まるで線路の枕木でも跨ぐようにしながら,一分でも職場に遅れまいと無表情改札口を目指す圧倒的多数の通勤者たち
このことは,

収録の和泉きよかさんへのインタビューでも,

    道路のこっち側半分はほんとうに地獄のような光景だった。それなのに道路あっち側半分は,何事もなくいつもどおり職場に通勤していく人々の世界なんです。
と記されている(p.48)。辺見さんの記述は“こっち側半分”と“あっち側半分”どころではなかったことになる。
アンダーグラウンド」のあとがきで村上さんが,
    この事件を報道するにあたってのマスメディア基本姿勢は,〈被害者=無垢なるもの=正義〉という「こちら側」と,〈加害者=汚されたもの=悪〉という「あちら側」を対立させることだった。
と分析した上でさらに考察を進めているが(p.740〜),これは辺見さんの「鬼畜 対 良民」という視点からの出発と通じているだろう。
そのような二分法では解決できない,本当の問題点を見据えていかなければならない。