新潟県中越沖地震を見据えて

ecochem2007-07-22

右画像は2004年の新潟県中越地震情報について書いた記事(2004/10/28)に掲載した世界の震源地分布図の再掲で,

で参照できるものである。2007/07/17に書いたように,地震国で原発を動かすことの重みを感じてほしい。

昨日になって柏崎刈羽原発の内部が公開され,知りたかった敷地内の様子が映像で流されて考えていた以上の被害で慄然とする。原子炉に致命的な損傷が及ばなかったのは奇跡なのかもしれない。
別ブログに書いたように地震発生当日は東京にいて柏崎刈羽原発の状況などをネットで調べていたのだが,敷地内で黒煙が上がる映像をテレビで見て,1964年(私は小6)の新潟地震のときの昭和石油の火災を思い出した。石油タンクの火災と原発の火災はまったく異なると考えてよく,それは分散型の火力発電と一極集中型の原子力発電の違い(事故自体が周囲に及ぼす影響と電力供給停止の影響)を象徴しているとも言えよう。
東京から新潟へは当日夜戻る予定だったが上越新幹線の運転状況が不透明だったため翌朝7時初の列車に変更したところ,遅れもなく到着したのには驚いた。
北陸道が柏崎まで開通した翌々日の19日には,水や食料,消毒用品などを仕入れて地震見舞いに柏崎まで往復。下のマップの大積PA近辺から先は上下線とも片側通行で段差があってずっとのろのろ運転の状態であった。柏崎インターでは乗り入れ規制をしていて,支援物資運搬などでなければ降りることができない。私が通った街中は混んではいなかったが場所によっては渋滞しているとのこと。


下の写真は帰路撮影したもので,上下線とも片側は工事中で,前方に段差があることがわかる。2004年の中越地震でも北陸線が普通になって金沢の学会まで高速バスで行ったのだけれど,その時も通行止めにしている側の亀裂は印象に残っている。今回もガードレールの波打ち状況をずっとを見ていると地震のエネルギーを実感できる。前方に柏崎刈羽原発(左方)から東京(右方)へ向かう鉄塔と送電線が映っている。いつもこの道を通る時は,今事故か何かで放射能が漏れていてもわからないのだなとつい考えるのだが,今回は本当のところどの程度漏れていたのかはまだ不明と言えよう。

大きな地震は通常数十年サイクルと言われるのに,2004年と今回の2007年と続いて起こったことが例外的と思われているのだが,昨日以下のブログ記事を読んでウームと唸ってしまった。

記事中にも書かれていているようにガス田注水作業やCO2地中貯留の今回の地震に及ぼした影響の証明は難しいだろうが,末尾に書かれている“自分たちの力を過小評価せず、逆に自然の復元力を過大評価してはいけないということは、すでに環境問題などで学んだはずのことですので、過ちは繰り返したくないものです”ということは私自身いつも感じている。『人為』は地球の広い意味での環境を大きく変える力をもつようになったが(その多くは石油の力に拠っている),『人知』が及ばないところはまだまだ多いことを自覚しなければ貴重な生物の世界に豊かな未来はないだろう。
なお,同記事にコメントしたようにCO2地中貯留については,

で長岡での実験の様子が紹介されていた。
また私自身,高校理科教科書や参考書の執筆に参加して温暖化のところでCO2の海底や地中への封印について書くことがあり,例えば,
視覚でとらえるフォトサイエンス化学図録 改訂版

でも『大気の問題』を2頁だけ担当してその中でも言及しているが,CO2発生削減という基本的な努力をせずに科学技術で何とかしようという姿勢にはいつも疑問を感じている。間違いなくこれはみんなの問題なのだ。
話を放射能の問題に戻すと,下記記事のように影響は新潟県全体に及んでいて暗澹たる気持ちになる。

今回の問題は『科学コミュニケーション』の観点からも,情報隠蔽や市民側の情報の受け取り方など多くの問題が指摘できるだろう。本ブログでも,

情報隠蔽の悪習について触れるなど度々原発について記事を書くが,一向に改まらないのはどういうことだろう。
原発と『科学コミュニケーション』については,2007/06/14で紹介した,

でも今回の件を含めて報告が出ると予想されるし,2007/07/18ほかでアナウンスした,

でもお話ししていただける講師を探して取り上げたいと考えている。これは,同カフェのことを取り上げてくれたブログ記事,

においてサイエンスカフェのようなイベントを継続し日常のものとしていくことで、地震学の最新の知見が広く伝えられていってほしい”という激励と要望に応えられることでもあると考えている。
最後に本記事とも関連する新潟県中越沖地震についてのリンク集を掲載しておこう(必要に応じて追加予定)。