北大総合博物館で見たパネルと東大の五月祭・駒場祭

2008/04/06に紹介した,

の中に以下の展示パネルの写真を掲載している。


写真の文章は以下の中にも記載されている。

    戦後の1952年5月26日、当時の東京大学総長 矢内原忠雄博士は「大学と社会」と題した東京大学五月祭の挨拶で、「明治の初年において日本の大学教育に二つの大きな中心があって、一つは東京大学で、一つは札幌農学校でありました。この二つの学校が、日本の教育における国家主義と民主主義という二大思想の源流を作ったものである。大ざっぱに言ってそういうふうに言えると思うのです。」と述べている。博士はさらに、「・・・日本の教育、少なくとも官学教育の二つの源流が東京と札幌から発しましたが、札幌から発した所の、人間を造るというリベラルな教育が主流となることが出来ず、東京大学に発したところの国家主義、国体論、皇室中心主義、そう言うものが、日本の教育の支配的な指導理念を形成した。その極、ついに太平洋戦争をひき起こし、敗戦後、日本の教育を作りなおすという段階に、今なっておるのであります。」と続けている。
この文章については2004年12月に北大総合博物館を訪れた際にも目にし,写真も撮ったのだが当時のノートHDのトラブルで失って記事にし損なっていたものであるが,大学というものの持つ役割の大きさというものを強く感じさせられる。
またこのようなメッセージが東京大学の学祭の一つである五月祭という場で語られた意味も大きく,最近では2005年の小宮山現総長による以下のような資料がある。

なお,五月祭については本ブログに以下のようなエントリーがあり,学生の学術的な活動な場であることも知っておく必要があろう。

さらに,東京大学のもう一つの学祭である駒場祭に関しては,2005/03/31にTBをいただいたことを記した以下のエントリー,

には次のように書かれていて,やはり刺激的な場であることを知ることができる。

    彼は、いまからおよそ20年前の学生時代、駒場祭(東大教養部の学祭)でMOLDAを発表した。多くの化学の先輩らはこれを子供の遊びとみなして見過ごしたようだ。しかし、私よりは若くいが優れた数名の友人の研究者が、私に目を剥いてこれを報告した。「すごいぞ。あなたは、日ごろから科学は頭じゃなくて目に教えろといっていたじゃないか。彼のソフトは画期的だぞ」 私は、心躍った。彼と会える日を楽しみに友人らに会えるように手配を頼んだ。

それにしても来月の日本コンピュータ化学会2008春季年会でもその吉田さんにお会いできないのは本当に残念で残念でならない。

*1:ここにお名前が出ている細矢治夫先生に2008/04/08に記した学会賞の推薦書を書いていただくようなことが起こるとは夢想だにしていなかった。