秀丸エディタのマクロ作成

ecochem2005-02-10

若干[番外]。昨日からタンパク質関連のWebコンテンツ作成のために,秀丸のマクロ作成に取り組み,どうにか公開(画像はその実行時の画面例)。

理科教育MLにも投稿したように,簡単なものとはいえプログラミングのまねごとは久々。同じ仕事を繰り返すのにプログラムは本当に便利で,このお陰でできる仕事量が増えるということは,寿命が延びたことにも相当するだろう。プログラムとデータさえ正しければ,1つもミスなく仕事をこなしてくれるのも有り難い。
プログラミングでは,同じ処理をするのに異なった手段がたくさんあってどれを選ぼうかと悩むこと,使えるプログラム言語の約束が決まっていてそのルールに従わなければならないことなど,人間の脳の働きをつい想像してしまうが,プログラム(に限らないが)は人間の脳の産物だから当然といえば当然か。
昔のBASICでは,プログラムの中で同じ処理を繰り返すのにサブルーチンというのがあって(これがプログラミングが読みにくくなる原因でもある),どうやって数値を引き渡すのか悩んだ思い出があるが,今ははやらず発想の転換が必要。当時は,人間の一日の行動も同じ繰り返しの場合は,例えば「GOSUB 歯磨き」などサブルーチン的に(ほとんど無意識のうちに)処理しているのだろうと感じたりした。通勤時の自動車の運転も,細かいところは直後でも記憶に残っていないことがあるのはよくできているようで恐ろしくもある。
できたマクロを実行して,エラーがあると止まるのでこつこつデバッグする作業,1文字でも間違えたり抜けたりすると動かないという融通性のなさ,ユーザーのためにいろいろ親切な処理をどこまでつけるか,マニュアルをどうするかなど,以前と同じ懐かしい感覚を味わうことができた。
ついでに,秀丸の存在を教えてくれたのは社会学をやっている友人で,最初はエディタを使う意味がわからなかったが今はこれなしでは暮らせない(VZや職場用にいくつかのフリーのエディタにものめり込んだ)。これも面白いツールだし,文系・理系が垣根なく話せるPC・ネットの世界の格好のネタの1つである。
困ります、ファインマンさん (岩波現代文庫)

    ※プログラムと脳のはたらき関連で追記:一昨日取り上げたNHKの番組で,LDのこどもたちでも文字認識だけが苦手な場合など症状は様々で(これは個性でもある),周囲は自分ができることを基準にさぼっているなどと誤解するが,脳の該当する回路が不完全であれば人と同じやり方では効果は低く,他の回路を利用するなどして必要な回路を補間的に形成していく必要があるということなのだろう(脳には可塑性があるのだから)。この辺は,例えば数を数えるという単純なことでも人によってやり方が千差万別だということに気付いたとするファインマンの本や,視覚情報を時系列に沿って処理できないために自動車の動き等が予測できない人などを紹介した昔の番組NHK「人体II 脳と心」で見た内容とも符合している。