「養老先生と遊ぶ」の私的読み方

ecochem2005-04-04

いつから養老孟司さんの本を読んできたのかもう忘れたけれど,そのつき合いで新刊の,

を読む。
唯脳論 (ちくま学芸文庫)
実は10年前の10月に,職場の全学講義に来ていただいてライブでお話を聞かせてもらったことがある(持っていた本に日付入りでサインをしてもらったのだ…;本当は「唯脳論」にして欲しかったのだが誰かに貸し出し中で)。毎年変わらぬ安い謝礼だったが,福島へ探し物を行った帰りということで運良く破格の条件で来ていただくことができた。
上の本に自己分析として(p.244),“十年前まではひどかったらしいんです。自分ではわからないんだけど,人の話を聞かない嫌なやつだったみたいで,十年以上前にあった人には全員に謝っておきたいね”とあるけれど,どちらだったんだろう。学生の席の間を歩き回っていろいろ質問しながら話してくださったのが印象に残っている。
講演の後の雑談と駅までお送りするタクシーの中で,ゲームの話(p.186に養老まるの証言として仕事のない休日は“日がな一日パソコンのゲームをしているか”とある;養老さんには“ゲーム脳”というのは別次元の話だろう)やその頃取り組んでいた人体のデータベースCDの話などをしたことを覚えている。データベースについては,厚かましく分子データベース構想の話もさせていただいたのだが,それを規模は小さいながら実現しつつあるのは今度お会いした時にちょっぴり自慢したいところ。真摯に話を聞いてもらえたのがうれしかった。そうそう,もう代替わりしているのかもしれないが,上の書籍ページに出ている鞄も少し持たせてもらえたのも,いい思い出(確か,鞄は自分で持つべきものとどこかに書かれていたような気もする)。
めぞん一刻 (10) (小学館文庫)
また,新潟市出身(新潟は漫画王国なのです!)の高橋留美子さんとの対談もあって得した感じ。話の中の「ガロ」や「COM」の名前が出てきたのも同時代性。高橋さんの作品の中に山より海が多いという養老さんの指摘に対し,高橋さんが,“生まれ育ったのが新潟なんです。海から歩いて十五分くらいのところでした。だから印象に残っているんでしょうか”と答えている。本当に養老さんは面白いところを見ている。

    ※この海が近いということでは,2004/11/16に書いた横田めぐみさんのことをすぐ思い出すのだけれど。
そんなこんなで楽しく読めました。巻末の著作リストを見て,その時々に読んだ本を思い出し,養老さんと同じ時代に生まれ合わせてそれらを読ませてもらうことのできたことを改めて幸運に思っている。
    ※養老さんが化学や分子に言及している著書がいくつかあるが,例えば以下のpp.53-55では,分子の形・三次元構造にも触れていて興味深い。私がしばしばハンドル名に使う“シェーマ”という語も度々出てくる。

    形を読む―生物の形態をめぐって
    さらに,以下に出てくる一文はいかにも養老さんらしい。

       化学者は,自分では物を扱っているというが,頭の中では,じつは分子を扱っている。その世界は,ヒトの基準で考えれば,極端に小さい。そんなに小さい分子のことが,なぜわかるかは驚異だが,わかるという。わかるらしい。
       こんなに小さいものは,もちろん目に見えない。ゆえに,その存在を決めるのは,人間の論理である。理屈があるからこそ,化学者水分子というものの存在を信じるのであって,化学はじつは,その意味では,まったく論理的にできている。
       そもそも理屈が存在を予想しなければ,目に見えないものを,だれが図に描くことができるか。